スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

最後と最初

今回で

グチめいた事は 打ち止めにしたいと思っています

ながらく

私の暗い気持ちに 付き合って下さって

ありがとうございます









甲斐は

写真キライでした





というか

私のカメラが嫌いだったみたい



写真を撮る時に

緑色のヒカリを 被写体に当てて

ピントを合せるタイプなのです



だから

甲斐を撮ろうとすると

丁度 甲斐の顔に

ミドリのヒカリが 当たる



そりゃぁ 嫌がりますよね〜



それでも

撮っていたんだけど

段々

いやぁ〜な 顔をするようになり

しまいには

顔を背ける様になっちゃって。。。。



そうなっちゃうと

カメラを向けるのも 気が引けて

撮らなくなっちゃいましたよ



撮っても

寝ている写真ばっかり





だから

今年は当然だけど

去年も 甲斐の写真が少ないのが

さみしい次第です




kai130514-01.jpg




年末

年賀状用に撮ったこの写真が

甲斐の起きていた時の

最後の写真




kai130514-02.jpg




年始

枕を使って寝ているのが

可愛くって撮った写真




kai130514-03.jpg




イタズラして

母のマフラーを付けたら

迷惑そうな顔をしたけど

そのまま また寝ちゃった

これが最後の写真でした





もっと もっと

撮りたいけど

やっぱり

嫌がる事は したくないし

新しいカメラ欲しいなぁ〜

と 思っていたのに。。。。。



















でも

買っちゃおうかな





考えています




ren130514-01.jpg




この仔を 撮る為に



次からは

浮かれた感じになるでしょう。。。


スポンサーサイト

だいすき

今 思うと

甲斐の亡くなる一週間前の

1月19日(土)



あの日

雪でコケて 立てなくなった時

あの時に

進行性脊髄軟化症が 発症したのではないか

と 疑っています



でも

あの後も 歩いていたし

病院で見てもらった時も 異常はなかった





それでも 消えない疑念





丁度 一週間というのも気になる原因。。。



夜中のおしっこ散歩の時に

雪の中に座り込んで 世間眺めを良くしていた



それだって

以前からしていた事だけど



おしりを 持ち上げないと

いつまでも 座って夜中の住宅街を見ていた

それすらも 腰が立たなくなっていたんじゃないかと

疑う理由。。。



ナデナデしてって

突進してくるチカラも 弱くなっていた。。。







単に

肺水腫や 心臓の事で

カラダが弱っていただけなのかも知れない



弱っていたからこそ

進行性脊髄軟化症に対抗できなくて

あんなに 進行が早かったのかも。。。







いくら考えても

答えは もう出て来ない













もし

普通の速度で

進行性脊髄軟化症が進行していたら



私達は その事に

耐えられなかったでしょう



目の前で

確実に 死へと進んでいく甲斐を

苦しみ泣く甲斐を

見ているしか出来ないなんて



下手したら

これ以上 苦しませたくないと

思ったかも知れない



そうなったら

今以上に

苦しんで 涙していた事でしょう





永く苦しまなかった

本当に それだけが幸いでした









普通はね

こんなに小さくなった とか

痩せちゃった とか

毛艶もなくなって とか

ハゲちゃった

なんて事になるのに



甲斐は 何も変わらなかった



大きいままだったし

重たかったし

皮毛もツヤツヤだたっし

ハゲなんか どこにもなかった





寝ているみたいだった

苦しそうな 表情もなかった



それが

救いです








可愛い

カワイイ

良い子だね

甲斐クン おりこうさん



そう言われ続けて育った

でかギャバは

最後の最後まで

本当に 可愛い良い子でした







家族の苦痛を 最小限に留めてくれました






かーくん

かー

甲斐

大好き


旅立ち

1月27日 日曜日

さいご



7時前に家に着くと

妹が夕飯を作ってくれていました



テーブルにセッティングしながら

甲斐の状況を説明している時

お嫁ちゃんも帰って来ました



暗い気持ちになりながら

でも

きっと 良くなるだろうと

漠然とした思いで

TVを見ながらの夕食を始めました



もうすぐ

食べ終わるという頃

電話が鳴りました







私が電話をとりました

病院からでした





昏睡状態になりました





頭が真っ白になる



何を言っているのか

一瞬 分からなかった



だって

2時間後には

甲斐は帰ってくる筈でしょ?





少し前から 呼びかけに対して

反応が薄くなって来て

今 昏睡状態になりました





との話しに

家を飛び出しました

夕食の片付けを お嫁ちゃんに任せて









日曜の夜

道路は空いていたのに

病院が遠く感じました









病院に着いたのは

8時前

診療時間は終わっていました





すぐに

甲斐の居る酸素室へ



甲斐

と呼ぶと こちらを見ました



昏睡と云われたのに



でも

頭しか動かない

甘えて来ない



甲斐



何度呼んでも

それ以上の反応は返って来ませんでした










進行性脊髄軟化症









椎間板ヘルニアの中でも 発症率3〜6%の病気でした

脊椎の中の神経が 溶けていくようです



発症すると

まず 腰がたたなくなる

それから 日に日に

麻痺が上半身にまわり

最後には心臓も呼吸も止まってしまう



普通は1週間程度

早くても2〜3日で死に至る病いで

手の施しようの無い病気だそうです









あまりにも進行が早いです

このままここに居るより

自宅で死を迎えた方が





その言葉に

連れて帰る事にしました



病院から車へ

私が抱いて



病院を出てすぐ 二度の痙攣



もうダメだと思いました



助手席の後ろが 母の指定席

その隣が 甲斐の居場所



そこに寝かせて

車を発進させましたが



駐車場を出る前に

甲斐は

亡くなりました








家までは

待てなかった



でも

私達の事を

待っていてくれた













どうか

知って下さい

進行性脊髄軟化症という

病気がある事を



皆さんの大切な

可愛い子を

失わない為に



椎間板ヘルニアを

発症させる危険性を 考えて下さい



肥満にさせない
甲斐は少し太り気味だった ダイエット中でした

すべりやすい床には マットなどで滑り止めをする
よく廊下でボール遊びをしていた 腰骨の変形が発見されてからマットを敷き詰めました

極端に激しい運動を避ける
腰骨の変形が発見されてからは ボール遊びも控えていました




予防をしても 発症するかもしれないけど

進行性脊髄軟化症の 恐さを

覚えていて下さい





甲斐の様に 亡くなる子が

少しでも 減ります様に



病院へ

1月27日 日曜日

そのあと



慌てて 病院へ電話をかけました

休診時間なのは 分かっていました

それでも

どうにかして欲しかった



母は 甲斐をずっと抱いて

撫でて 話しかけて

その間も

甲斐はずっと 泣いていました



電話が通じた時

それだけで 助かった様な気になりました



午後の診療時間は3時から

でも

すぐに連れてくる様にと言われ

買物の片付けを 妹に頼んで

母と二人で甲斐を連れて行きました



その時点で

ヘルニアかと疑っていました

以前から

腰骨の変形が見つかっていて

ヘルニアになる可能性を指摘されていたのです



悪くて 後ろ足が不自由になる

良くても 麻痺が残るのかも と

漠然と思っていました



病院に着くと

担当医の先生が 駐車場で待っていてくれました



すぐに 診察室へ



甲斐の後ろ足は

まるで 感覚がないと云われました



触っても つねっても

痛がらない







痛がるのは 腰






レントゲンを撮りたくても

このままでは無理だから

痛み止めの点滴を処置

痛みが続くと 心臓にも負担がかかるので

酸素室へ



肺水腫の時に入れなかった

少し小さめの酸素室



幸か不幸か

後ろ足が立たなくなったから

入れました



3時間後に迎えに来て下さいと言われ

私達は一旦 家に帰ったのです







家では 妹が心配して待っていました

甲斐の新しい水飲み用の器を用意して







水を飲むたびに 器の中に耳をポチャン

そのまま 私達を見て

水を飲むよ と言いたげな顔



はいはい お水ね 飲みなさい



と云われて お水を飲む

そんな癖があったので

耳が入らない様な

少し小さめの容器を

その日 買い求めていたのです





ココロここに非ず

そんな感じの時間が過ぎ

6時に 母と二人

甲斐を迎えに行きました



でも

云われた言葉は




痛み止めが効いていないようです




※提案

立て続けに 痛み止めを出来ないので

このまま酸素室へ

そして 3時間後にもう一本痛み止め

病院は夜間 無人になるので

一旦自宅待機

明日の朝にもう一度来院して

一日 病院での検査・治療をし

夜に迎えにいく





私達は それでお願いしました

本当に 近い病院で良かった

車で10分の距離

何往復しても 気にならなかった





家に帰る前に買物



これから必要になるだろう

甲斐のオムツ



でかキャバの甲斐に合うサイズの

ワンコ用オムツは高価で 入り数も少ない



以前

老犬介護をなさっている方のblogで

人用のオムツに シッポ穴を開けて使っていると

あったのを思いだし

大人用介護オムツを購入



しばらくは

寝たきりか

それに近い状態になるかもしれないから

水を使わないシャンプー等も購入





歩けなくなったら

車いす生活 かな



車の中で

母と話しをしながら 帰路についたのです





ワンコ用車いす

ネット検索をしてみよう

そう 思っていました




老犬介護

やる気満々でした

悔恨

あの日

1月27日 日曜日



甲斐は いつものように

母と朝散歩に出掛けました



帰って来た後も

いつも通りに

「ただいま」の ナデナデを要求



その後は

朝ご飯前の一眠り

って感じで

いつもの場所(コタツに寄りかかって)で ごろん





でも

食事の準備が出来ても

起きなくて

鼻先に オイモを見せても

興味無さげで



お薬だけでも

飲んでもらわなきゃと

色々したけど



珍しく頑固に拒否



このころ

ニガいお薬を オイモに包んでいたから

オイモ自体を食べ渋る様になっていたし

ササミに代えても 疑って食べなくなっていました



結局

心臓のお薬を一つと

オイモを一欠片 食べただけでした







日曜日は 週一の買い出しDAY

いつもなら 一緒に車でお出掛け

そして

車の中でマナブとお留守番



だったけど

お薬だけじゃなく 朝ご飯も食べなかった甲斐



どうしようか迷った挙げ句

家でお留守番していて貰う事にしました









連れて行けば良かった








早く帰ってくるからねと

10時半頃 家を出ました



家には お嫁ちゃんも居たし

お嫁ちゃんが出掛けるのは いつも午後からだったし









でも なんだかんだと

いつもと変わらない時間に帰宅

1時半 過ぎていたと記憶しています





家の前に車を停めると

甲斐の鳴き声が聞こえるのは

いつもの事



でも

なんか変

いつもの鳴き声じゃない



そう思いながら

荷物を運んでいると

先に家に入った母の 悲鳴に似た声







甲斐がっっ!!!







慌てて 家に駆け込みました

お嫁ちゃんの靴はなく 出掛けたようでした

(後で聞いたら 1時ちょっと前に出掛けたらしいのです)



甲斐は台所で

ヒンヒン泣いていました



後ろ足がまるで動いてないようで

前足だけで 私達に縋って来ようとしていました



どういう状態で発症したのか

分かりませんが

台所で足腰が立たなくなったのでしょう

尿も垂れ流していて



つらそうに 泣いていました









ゴメン

本当にゴメン

肝心な時に側に居なくて

どんなに

心細かった事だろう

どんなに

つらかった事だろう



連れて行けば良かった

そうすれば

一人で 泣く事はなかった



どうして

あの日 置いて行ったんだろう



どうして

どうして




プロフィール

マナブ

Author:マナブ
♦甲斐(♂)♦
2001年4月20日生まれ
2013年1月27日虹の橋へ
キャバリア・ブレナム
あまったれストーカー
11kgのでかキャバ


♦蓮華(♂)♦
2013年1月19日生まれ
キャバリア・ブレナム
只今成長中のハイパー男子


♦マナブ♦
甲斐・蓮華のプチストーカー

リンクフリーです。


ランキングに参加しています
にほんブログ村 犬ブログ キャバリアへ



人気ブログランキングへ
ポチッと宜しくお願いしま~す。m(_ _)m

最新記事
最新コメント
FC2カウンター
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。